会社沿革

私たちの会社の創業以来の主要な行事、内容などを記載しました。本社の何度かの移転のため、資料が見当たらないものもあり、古いものについては十分ではありません。 簡正式版はコチラ

西暦 内 容 
1911年 和歌山県御坊市において、徳川寛文年間(1661)より代々の中川藤吉が継承経営してきた山 林業より独立。中川計三郎商店として素材の生産業を営む。
1947年 木材統制令廃止と共に中川木材店大阪店を開設。
1949年 大阪市西区西長堀南通り2丁目24番地に620坪の土地を購入)大阪店 事務所、宿舎及び貯木場を開設する。
1953年 大阪店を独立、株式会社に組織を変更し、中川計三郎を代表取締役社長に、中川藤一を 代表取締役専務とし、社員と廣瀬辰造以下8名、資本金200万円を以て設立する。
1953年 大阪市大正区難波島にて、村上竜平氏の土地1000坪を借用して貯木場を開設する。
1953年 池田銀行を通じて、岡崎工業㈱より、大正区今木町1丁目27に約1000坪の土地を購入し貯木 場に改造する。
1953年 アメリカシァトル本社、バークレ商会(林出張所長)に事務所の一部を貸与。日綿実業㈱木材部及 び安宅産業㈱木材部と取引を開始する。
1954年 大阪市港湾局に松杭40尺8寸500本納材し、業界を驚かせる。
1955年 中川藤一専務、三重大学農学部に於て、木材商業論及び木材流通論の講義を担当する。 以後21年間講義することになる。
1956年 ソ連材海洋筏、初めて富山港に入港、60尺の落葉松丸太全量を買付ける。 組み立て式床の間セットを開発、米国へ輸出する
1956年 神戸淡路フェリー開通により、愛媛の住友化学新居浜工場増設工事にて、西松建設㈱に杭丸太を納材する。
1956年 長野県小諸に出張所を開設する。
1960年 中川木材店難波島にて、大青協(大阪木材青年経営者協議会)会員による木材材積測定に 関する新農林規格改正資料を作成する。
1960年 朝日放送テレビ 「子供の科学」に 中川藤一専務が出演
1962年 中川木材店創業50年、創立10周年を迎え、大正区、貯木場に於て、感謝会を行なう。
1962年 大阪府南河内郡美原町、大阪木材工場団地協同組合に加入、10,000㎡の土地を購入する。
1963年 日綿実業㈱木材部の代行店としての日綿建友会が発足し、卸売業務を併設する。 中川藤一専務が副会長となる。日綿実業㈱は木材小売業者に直接販売する目的で日本ドラムカン 工業㈱木材部を設立。弊社より社員奥田義一が出向する。大和ハウス工業㈱の仮設ハウス販売代理店となる。
1964年 岸和田、木材コンビナート内に、4,500㎡の土地を購入。将来の木材大型流通化に備える。
1965年 日綿実業㈱木材部が、日本ドラムカン工業㈱木材部を閉鎖した為、中川木材運輸㈱を 中川木材店に吸収。又、日綿建友会代行店として、53年7月まで卸売業務を行なう。
1969年 内装プレカット加工部門強化のため㈱葵建装を美原に設立。
1969年 大阪木材工場団地内に第一期工場の建設を始め、同年7月美原営業所を開設。
1970年 中川木友会(中川木材店の仕入業者主体)発会。第1回の総会を羽衣荘において開催 (水谷建築設計の水谷頴介先生が「明日の都市建築」と題して講演をする)
1970年 中川藤一社長、2週間のフイリッピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ木材視察。 中川勝弘(大学4回生)通訳として同行。
1971年 米国シンプソン社、ニチメン共同での年輪盤3丁の寄贈を受ける。
1971年 岸和田木材コンビナートに於て、社屋新築工事始まる。鉄筋コンクリート陸屋根5階建
1972年 岸和田木材コンビナート内に社屋を建設し本社移転、岸和田支店を開設。納材部門は 岸和田へ。10月6日社屋竣工披露 
1974年 小堀住研㈱(現在のエスバイエル㈱)と取引を開始、建築用材の直需に力を入れる。
1975年 兵庫県川辺郡猪名川町阪急日生ニュータウン内に日生川西営業所を開設。ディベロッパー指定の 大量納材に進出する。業界ではじめての試みであった。ツーバィフォー材、本国挽 
1975年 美原営業所に建材部およびツーバイフォー部新設。 
1975年 アメリカ、カナダ視察。(日綿建友会同行2x4勉強会)。4月29日~5月7日。
1976年 美原営業所を支店に昇格改称。造作プレカット部門を開設(現住宅事業部)
1976年 小怪木のインテリア、エクステリアの利用に踏出す。
1977年 岸和田支店にアウトドア部門を開設。(現 屋外施設事業部)
1977年 日本フィールドアスレチック協会、マーケティング企画㈱の支援を受け、京都嵐山の清滝において、 直接の仕事として最初のFA工事を請負う。尓後、昭和56年7月末まで関西以西の地に於て47件、 733ポイントを消化する。
1979年 間伐材を利用してエクステリア、インテリアの開発を岸和田支店が中心となり始める。
1979年 54年度くらしと木材展 和歌山商工会議所 に出展。
1979年 各店間に電電公社DRESSシステムによるオンラインリアルバッチ電算処理、各店間にFAX処理を開始。
1980年 大阪国際見本市に出展する。
1981年 財団法人大阪住宅センター主催の「すまいと木材知識展」に中川藤一前社長が委員長で参加、間伐材製品を出展
1982年 小売のノウハウを得るため、川西営業所(兵庫県川辺郡猪名川町 阪急日生ニュータウン内)に アンテナSHOPを開設。費用の問題や専門的なディスプレーが出来ないことから木造倉庫を 自分たちの手で改造して20坪の店とする。オープンの日は400人のお客様があった。
1982年 社員の高齢化時代への産業対策として大阪シルバーサービス㈱を設立。
1982年 大阪国際見本市に、2回目の出展をする。この時点よりインテリア小物を販売開始。木のイメージについて のアンケート調査をする。4月22日から5月3日の国際見本市の会期中に1100人からアンケートをとり分析、 パソコンによる集計分析を初めて行った。この分析結果は業界を始めとして各界から注目された。木材再発見、 再プームのきっかけとなったかも知れない。
1983年 クラフト事業部 卸 業務を実験的に開始。
1983年 OMMフェアに出展。 卸 業務が本格化稼働。
1983年 ウッドクラフトショップを豊中 服部緑地での第1回全国緑化フェア(グリーングロー大阪)に大阪府の要請で 出展好評であり、大阪府にクラフトの存在を知らしめ、また木製品の温かさを来場者に知らしめた。
1984年 日生ニュータウンの事情により急拠ショップを閉鎖。
1984年 大阪ギフトショーに出展。
1984年 日生ニュータウンの事情により川西営業所、クラフト事業部の引越しを行う。事務所、倉庫、 木場等2000坪、全体が引越しするため4ヶ月かかり大変な大移動であった。
1984年 兵庫県緑化大会に出展。
1984年 バーズアイに通販広告をだす。通販業務の初めであった。
1984年 『40名の作家ウッドクラフト展』を名古屋ポートビルにて行う。全国の作家商品を収集するのは大変な作業であった
1984年 『40名の作家ウッドクラフト展』を広島 にて行う。
1984年 本格的な通信販売を開始。朝日新聞社 保存版雑誌 木の文化シリーズに カラー1頁掲載する。 3回掲載。広告費用も出ずに、大失敗かとおもわれたが、この通販広告のおかげて全国のクラフト作家 に当社のことが知れ渡り、その後の商品開拓に大いに寄与した。
1984年 『ウッドクラフト展』を 松山三越 にて行う。引き続き常設コーナーを設けてもらう。
1984年 大阪コロナホテルで行われた、国民の森林を考える関西シンポジウムに協賛出展。  『ウッドクラフト展』を 神戸そごう 美術工芸部門で催事を行う。 『北海道ウッドクラフト展』を 大阪 高島屋にて行う。山口保氏の実演含む。
184年 ブックローンに商品供給する。従来の地球儀の台以外にクラフト商品を供給。
1985年 国際森林年事業推進協会より、内閣総理大臣賞、農林大臣賞、林野長官賞等のため記念品をご購入頂く。
1985年 翌年1月末まで 枚方三越に委託販売。 10月末まで 大阪三越などに委託販売開始。
1985年 『ウッドクラフト展』 神戸そごう 11月好評のため再度の要請あり。 『木のぬくもり展』 奈良近鉄 。(あるぼーる様へ商品供給)
1985年 東京ギフトショー 出展。
1985年 クラフト事業部 念願の初めての印刷カタログを制作。
1985年 美原支店を本店に昇格、本社を同敷地内に移転し、本店内にアウトドア事業部、 阪急日生二ュータウンにクラフト事業部を開設。
1985年 東京ギフトショー出展に出展。
1985年 大阪 松阪屋にて 『ウッドクラフト展』を行う。 大阪 三越 展示販売会 『木・やすらぎの小品展』
1985年 大阪そごう 『北海道展』 出展 。 『食べ物フェスティバル』 大阪城公園に出店。 『国際森林年フォレスポ85』 代々木公園に出店。 
1985年 『ウッドフェア大阪』 大阪国際見本市に出展。 東京 林野庁主催 『森の市』に出展。 羽田農林大臣、林野庁長官なども立ち寄りお買上げ頂く。
1986年 神戸そごうにて 『ウッドクラフト展』
1986年 愛知県 トヨタ生協 にて 『煙山泰子の展示会』を行う。 大阪 阪神百貨店にて展示会。
1986年 『花と緑のミニイベント』 大阪鶴見緑地。 阪急電車池田駅改築記念 『ウッドクラフト展』大阪府民センター通信販売による販売方式をとる。
1986年 近鉄百貨店 にて『ウッドクラフト展』 河合正雄氏に実演協力をお願いする。 『ウッドフェア』 大阪府主催(心斎橋そごう)に出店。 参加企業のなかで一番の評判となる。 万博会場 大阪府主催 『ウッドフェスティバルinEXPO』に出展。
1986年 大阪摂津にウッドアンドライフ摂津 オープン  丸岡銘木さまにクラフト商品を全面供給する。
1986年 全国植樹祭に印鑑ケースを記念品として買上げられる。全国林業後継者大会、植樹祭会場などにも出展。
1986年 『ウッドクラフト新作展』 大阪三越。
1986年 能勢電鉄 『日生中央駅前ビルオープンイベント』
1986年 大阪ギフトショー 出展 国際ホテル。 『玉手山おもちゃまつり』に出店。
1986年 『北海道クラフト展』 大阪そごう。
1986年 『北海道クラフト展』 大阪高島屋。 『食べ物フェスティバル』 大阪城公園に出店。 堺 『農林フェスティバル』に出店。
1987年 美原本店敷地内にクラフト事業部の移転
1987年 東京ギフトショー 出展。
1987年 全国木材青年経営者連合全国大会 出展。(福井市) 近鉄外商イベント 八尾。
1987年 近鉄外商イベント 大阪城ホール。
1987年 第二次電算システムをNECオフィスプロセッサーのオンラインバッチ処理に変更。
1987年 能勢電鉄 『日生中央駅前ビル1周年記念イベント』 木製迷路を出展。
1987年 『天王寺博覧会』に出店。
1987年 社員旅行 韓国 釜山 慶州
1987年 大阪ギフトショー出展 マイドーム大阪。
1987年 大阪営林局 『法円坂イベント』 『食べ物フェスティバル』 大阪城公園。
1987年 岸和田臨海会館 イベント出展。 『大阪府農林水産フェスティバル』 大阪 長居公園。 『暮らしの中の木工品展』 岐阜 高岡。
1988年 クラフトSHOPの苦しい時代、経費だけでもカバーできるようにと、レンタルビデオを開始する、 パソコンなどの代行入力、木に関する書籍のレンタル、アートレンタル、写真現像取次ぎ、 人形、ソックスの販売、自動販売機の設置なども行う。
1988年 大建工業 『洋上展示会』に出展。
1988年 セキスイハウス 三宮にて『ウッドフェア』 。この時、ちびっこ木工作展を行い好評であった。。
1988年 セキスイハウス 姫路 『ウッドフェア』に出展。
1988年 レンタル迷路を考え、イベント会社にDMを発送し、営業開始する
1989年 高度情報化にそなえウッド&ライフ事業部にシステム課を設置。
1989年 追悼集作成 業界から委員を選出してくださり、委員会が出来る。1年間で5回の委員会を開いた。 追悼集の題名は聖書の中からの言葉「樹には望みあり」とする。委員長浅野寛氏。中川勝弘社長が編集する。
1989年 神戸ギフトショー 出展。
1989年 中川藤一一周忌 会社行事で行う。
1989年 社員旅行 北海道 札幌、苫小牧 登別
1989年 日本航空機内通信販売用クリスマスツリーの別注製作。
1989年 田辺経営 京都国際大会 異業種大会 出展。
1990年 川西営業所の閉鎖撤退。
1990年 国際花と緑の博覧会(90・4/1-9/30)休憩施設を施設提供。 政府苑産業技術館のトラス材の納入等 多くの工事、納材をする。フジサンケイグループ主催のグリーンミュージアムに企画出店。 グリーンミュージアムでは1室のイベント企画とウッドクラフト販売などを行う。、
1991年 社内CIを行う。社名はそのまま。統一コンセプトをWOOD&LIFEに6部門の新名称を使う
1991年 社員旅行 台湾 台北、社長のみ米国のオーランドにリゾート関係の研修視察旅行に参加
1992年 住宅用デッキの組立等で特許申請。同商品を松下電工様へOEM供給する。
1992年 24日から29日 第20回 大阪国際見本市にプランジュ事業部(現 屋外施設事業部) 4コマ出展。 
1992年 関西ニュービジネス協議会 国際大会に出展。
1993年 美原町立大地幼稚園に木壁画企画施工。
1993年 企画開発、提案営業の拠点とするため大阪西区の木材会館に大阪企画室を設置する。
1993年 NTT DOCOMO 携帯電話ディスプレー台
1994年 企画開発の第一弾であるマンションデッキを開発する。特許申請する。
1994年 5万円で会社案内100部制作という、カラープリントシステムによる印刷業に進出。
1994年 和歌山リゾート博に新商品アメリカンデッキ6000㎡納入。施設提供する。
1994年 盛和塾 第3回全国大会 大津 カタログ出展。
1994年 社名を中川木材産業株式会社に変更する。
1994年 NTT DOCOMO 販促記念品
1994年 東京DIYショー出展、キットデッキは引き合い多く全国に販売ルートが出来る。
1995年 関西ニュービジネス協議会展示会にカラープリントシステムを展示。新規顧客を開拓する。
1995年 キットデッキ新タイプ完成。特許申請する。
1995年 平成8年度採用新卒募集を大商工会議所にて行う。また入社試験も自社で作成、実施する。
1995年 社員旅行 シンガポール
1996年 インターネットホームページ開設 ドメインはsun-inet.or.jp~woodだった。最初のホームページ
1996年 独自ドメインを取得wood.co.jp.、また自社サーバーにてホームページを運用開始。
1996年 東京グッドリビングショー出展。
1996年 大阪府企業体験教員研修 3日間 3名参加
1996年 本店内 LAN設置、パソコンひとり一台体制に
1998年 本社倉庫再構築、2階建てとし、2階を本社事務所とする。
1998年 社員旅行 長野、黒部へ アルペンルート  立山
2000年 中川博司常務 USJ工事のため第1回目の米国ユニバーサルスタジオ視察。
2000年 岸和田支店内 LAN設置 自社構築
2000年 東京ガーデニングフェア出展。
2000年 中川博司常務、 草尾同行USJ工事のため2回目、米国ユニバーサルスタジオ視察。
2000年 キットフェンスプロ 完成。特許申請する。
2000年 大阪府教員研修3日間 2名
2000年 大阪府立高校の創立記念にクラフト商品 (写真立)を企画、生産。
2000年 社員旅行 バリ島 
2001年 USJ工事完了 結果的に屋外のエクステリア工事はそのほとんどをさせていただく。ロンバースデッキ 木壁画企画、施工する。宝塚市 県民センター
2001年 キットデッキWeb インターネットのみの販売とする。
2001年 11日 USJセミナー1回目を開催。 米国大使館の後援、主催は米国針葉樹協会 13日 USJセミナー2回目を開催。
2001年 会社創業90周年祝賀会とUSJ見学会を実施する
2001年 教員研修受け入れ、3日間の研修
2001年 会社の自己資本比率36%を達成、10%以下からのスタートで長年の目標であった。
2001年 外回営業と社員全員の情報共有システムがスタート。システム完全に動くまで1週間かかったが  費用がかからずに、情報共有できるのはさすがITの威力だ。
2001年 株式会社ウッドジェイピイを設立、woodのメールの発売と木材業界専門のホームページ作成などを業務とすることに。
2001年 インターネットホームページが来場者累計30万人達成
2001年 会社の一般仕入れを現金支払に、長年の目標が実現した。
2002年 大阪ドームでの木と暮らしのイベントに出展
2002年 大阪 木工機械展・木製実物大飛行機(拡大写真と説明)をボランティア展示
2003年 関西IT百選に入選、優秀7社に選ばれる グランキュープ大阪にて受賞者講演
2003年 供給システム優良事例の林野庁長官賞に選ばれる
2004年 ISO取得 9001/2001  審査機関 ロイドレジスター
2004年 マレーシア 政府幹部の 各省庁部長クラス 20名の当社のIT利用状況視察
2004年 社員旅行 カナダ バンクーバー 
2006年 社長の中川 日本木材加工技術協会若手技術者発表会で 激励賞を受賞、最高年齢で 
2006年 間伐材利用の「自然木フェンス」が平成18年度大阪府率先発注モデル事業に指定される
2007年 社員旅行 オーストラリア ケアンズ 
2007年 ISO返上し、自社品質管理をスタートする
2008年 社長の中川 日本木材加工技術協会の市川賞を受賞  東京大学弥生講堂で受賞者講演
2008年 インターネットホームページが来場者累計200万人達成
2008年 世界の木材有用樹木7800種を公開  全ホームページのW3C準拠化スタート
2009年 NHKためしてガッテンをヒントに、スローステップを開発、ヒット商品となる
2010年 社員旅行 イタリア ローマ ナポリ
2010年 社長の中川が全日本SEO協会のSEO認定コンサルタントの資格を取得
2011年 キットデッキシリーズの「ウッドデッキラクーナ」を発売する
2011年 財団法人太平洋人材交流センター招聘のウズペキスタンの方々の見学来社
2011年 社長の中川が全市蓮の木材アドバイサー資格を取得
2012年 キットデッキシリーズの「ひのきっと」、「トクーナ」を発売する

 

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